系譜ソウル/ファンク/レゲエ

レゲエ/ダブの影響系譜

系譜
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ジャマイカという小さな島の録音スタジオが、その後の世界の低音を書き換えた。 スカタライツやプリンス・バスターが鳴らしたスカが土台になり、Studio Oneのリズム隊がウェイラーズの初期音を支える。 そこからボブ・マーリーがレゲエを世界に運び、キング・タビーがミキシング卓を楽器に変えて「ダブ」を発明した。 この系譜は島の中で完結しない。1976年前後のロンドンで、パンクと2トーンがその低音を骨格ごと持ち去る。 下のグラフは、スカの源流からダブ、ダンスホール、そして英国パンク・2トーンやアメリカのSublimeまでを、出典付きの矢印で配線したものだ。

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★ 大物 ルーツ 中核 子孫実線=本人公言 / 細線=評論 / 破線=派生
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スカという土台 - すべての矢印はここから出る

レゲエの系譜は、1960年代のスカから始まる。 スカタライツはジャマイカ音楽の前線をこのジャンルへ押し上げ、レゲエ発展の土台を築いたと見なされている。 彼らを母体とするStudio Oneのハウスリズム隊は、1964年の「Simmer Down」でウェイラーズの初期音を演奏し、その音を支えた。 プリンス・バスターはジャマイカ初の国際的スターであり、スカ史でもっとも重要な人物の一人とされる。 彼の名は思わぬ遠くで回収される。マッドネスは楽曲「Madness」からバンド名を取り、トリビュート「The Prince」でデビューしているし、スペシャルズはデビュー作でバスターの「Too Hot」をカバーした。

発明家キング・タビーと、運び手ボブ・マーリー

グラフで最も多くの矢印を出すのが、キング・タビーだ。彼は1968年にデューク・リードのディスクカッターとして働き始め、ボーカルを抜いた「バージョン」にエコーとリバーブを重ねてダブへ到達する。 その卓の技法は下流に広がった。リー・ペリーは1970年代初頭にタビーの初期ダブ実験を聴いてこの音響操作へ関心を持ち、サイエンティストとキング・ジャミーはタビー自身が指導した新世代だ。 タビーのHometown Hi-FiでトップDJとなったU-Royは、リミックスされた「バージョン」の上でラップしてダブ革命に点火する。 もう一方の幹がボブ・マーリーだ。1970年にリー・ペリーをプロデューサーに迎えた決断がウェイラーズの音を一変させ、レゲエそのものを変えたと評される。 タビーが音を作り替え、マーリーがそれを島の外へ運んだ。この二人の役割分担が系譜全体の骨格になっている。

Exodus — Bob Marley & The Wailers
ExodusBob Marley & The Wailers1977
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Super Ape — Lee Scratch Perry & The Upsetters
Super ApeLee Scratch Perry & The Upsetters1976
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島を出た低音 - パンク・2トーン・ヒップホップへ

ダブとレゲエの低音は、海を渡って別のジャンルの骨格になった。 クラッシュはマーリーとレゲエの熱心な信奉者で、逆にマーリーもロンドンのパンクに触発され、団結を歌う「Punky Reggae Party」(1977)を書いている。影響は一方通行ではない。 リー・ペリーはクラッシュのエートスに刺激され、シングル「Complete Control」(1977)で彼らと組んだ。 Public Image Ltdはレゲエよりもダブから多くを借用したと言われ、その源流にタビーらの卓がある。 U-Royのトースティングは、後のダンスホールとアメリカのヒップホップのMC文化の双方へ流れ込んだ。晩年のリー・ペリーが1998年にビースティ・ボーイズの「Dr. Lee, PhD」へ参加したのは、その回路が閉じていなかった証だ。 年表ビューに切り替えれば、この島発の低音がどの年にどこへ渡ったかが縦に伸びて見える。各ノードをクリックすれば、その枝の先へ飛べる。

London Calling — The Clash
London CallingThe Clash1979
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出典(本人公言・評論の一部)