ブラジル音楽の影響系譜
ブラジル音楽の系譜をたどると、矢印はいったんジョアン・ジルベルトとジョビンの二人に吸い込まれ、そこから世界へ散っていく。 1930年代にピシンギーニャが敷いた近代ブラジル音楽の土台を、ジョビンは自分の音楽の根だと認めた。 その根の上で、ジルベルトの囁くようなギターとジョビンのハーモニーが出会い、ボサノヴァが立ち上がる。 次の世代はそろってこの二人から出発し、やがてトロピカリアの実験が海を渡って、Stan GetzやDavid Byrne、Beckにまで届いた。 年表ビューに切り替えれば、この時間の流れがそのまま縦に伸びて見える。
ボサノヴァという結節点
上流から下流へ最も多くの矢印が集まるのが、ジョアン・ジルベルト、ジョビン、ヴィニシウス・ジ・モライスの三人だ。 ジョビンはジルベルトの新しいギター奏法に感銘を受け、そのスタイルを売り込むにふさわしい曲を書き始めたと伝えられる。 1962年8月、モライスはリオのAu Bon Gourmetでジョビンとジルベルトと初めて歌手として共演し、この協働がボサノヴァを世界へ送り出す詞と作品を残した。 ジョビン自身は、その根が1930年代のピシンギーニャの仕事にあると認め、作曲家アリー・バホーゾを「最も重要な音楽的影響」に挙げている。 羅列された古い名前ではなく、ここが下流のすべてに水を送る水源だ。

次の世代は、この二人から出発する
1960年代半ば、若い音楽家たちが同じ入口から入ってくる。 カエターノ・ヴェローゾはジルベルトの音楽が「育つ過程で大きな影響を与えた」と語り、ジルベルト・ジルはジョアン・ジルベルトに触発されてギターをボサノヴァの主要楽器に定めた。 ガル・コスタは14歳でラジオから流れたジルベルトの「Chega de Saudade」でボサノヴァに入り、シコ・ブアルキも子どもの頃にジョビンとジルベルトの作品で音楽に出会ったと振り返る。 エリス・レジーナは1970年代にジョビンとロサンゼルスで『Elis and Tom』を録音し、二人の系譜を歌の側から継いだ。 入口は同じでも、出口はMPBやトロピカリアへと分かれていく。

ロックを飲み込み、海を渡る
トロピカリアは、ブラジルの伝統に英米のロックをぶつけた運動だ。 ジルが絶えず聴いたビートルズの『サージェント・ペパーズ』はその様式に影を落とし、彼はロックの先駆者ジミ・ヘンドリックスのブルース基盤の音にも関心を寄せた。 ジルはOs Mutantesをトロピカリアの輪に引き入れ、彼らはビートルズやヘンドリックスの影響をボサノヴァやサンバと組み合わせて鳴らした。 この実験性は数十年後に海外で再発見される。カート・コバーンは1993年にOs Mutantesへ再結成を求める手紙を書き、Beckはアルバム『Mutations』の「Tropicália」で敬意を表し、David Byrneは1976年のTom Zé『Estudando o Samba』を掘り当てて自身のレーベルの最初のアーティストに据えた。 Stan Getzはジルベルトとジョビンから受け取ったボサノヴァを1964年の「イパネマの娘」で世界に広め、Milton Nascimentoはウェイン・ショーターの1974年作『Native Dancer』で国際的なブレイクを果たした。 各ノードをクリックすれば、その矢印がどこから来てどこへ抜けたかを一本ずつたどれる。


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音を作った機材
なぜその音になったのか、ならばどの機材なのか。本人の発言と評伝を一次資料に、一台ずつ裏を取って並べた。
Jimi Hendrix
- GuitarFender Stratocaster(右利き用を左手で)
右利き用のストラトを上下逆さに構え、左手で弾いた。ペグの位置も弦の張力配分も本来と反転するため、高音の抜けとアームの効きが通常のストラトとは異なる。あの音色の一因は、この構え方そのものにある。
Amazon楽天出典 - EffectDallas Arbiter Fuzz Face
ゲルマニウム・トランジスタ期のファズ。ギター側のボリュームを絞ると歪みが退いてクリーンに近づく。この可変幅を、右手のボリューム操作だけで曲中に弾き分けた。
Amazon楽天出典 - AmpMarshall Super Lead 100W スタック
歪ませたフルスタックの爆音が音の土台をなす。ファズ、ワウ、Uni-Vibe を通した信号も、この音量で鳴らして初めてあのサウンドとして成立した。
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出典(本人公言・評論の一部)
- Pixinguinha → Antonio Carlos Jobim:出典(ジョビンの音楽の根は、1930年代に近代ブラジル音楽を始めた伝説的作曲家ピシンギーニャの仕事にしっかりと根ざしていた。)
- Ary Barroso → Antonio Carlos Jobim:出典(アリー・バホーゾはジョビンの「最も重要な音楽的影響」と評されている。)
- Joao Gilberto → Antonio Carlos Jobim:出典(ジョビンはジョアン・ジルベルトの新しいギター奏法に感銘を受け、そのスタイルを売り込むのにふさわしい曲を探し始めた。)
- Antonio Carlos Jobim → Joao Gilberto:出典(ジョアン・ジルベルトのギターとジョビンのハーモニー、モラエスの詞の協働は、サンバへの新しいアプローチを求める音楽家たちの間で即座に共鳴を呼んだ。)
- Vinicius de Moraes → Antonio Carlos Jobim:出典(ジョビンを含む多彩な音楽的パートナーとともに、彼の詞と作品はボサノヴァの誕生と世界への紹介に決定的な役割を果たした。)
- Joao Gilberto → Caetano Veloso:出典(ボサノヴァとジョアン・ジルベルトの音楽スタイルは、ヴェローゾが育つ過程で彼の音楽に大きな影響を与えた。)
- Joao Gilberto → Gilberto Gil:出典(ブラジルの音楽家ジョアン・ジルベルトに触発され、ジルはギターを主要楽器に定めてボサノヴァを弾き始めた。)
- Joao Gilberto → Chico Buarque:出典(子どもの頃、彼はボサノヴァの音楽スタイル、とりわけトム・ジョビンとジョアン・ジルベルトの仕事に感銘を受けた。)
- Antonio Carlos Jobim → Chico Buarque:出典(彼はトム・ジョビンとジョアン・ジルベルトのボサノヴァ作品を通じて音楽に出会った。)
- Joao Gilberto → Gal Costa:出典(14歳のとき、彼女はラジオでジョアン・ジルベルトの「Chega de Saudade」を初めて聴き、ボサノヴァに興味を持った。)
- Caetano Veloso → Gal Costa:出典(18歳のとき、彼女はカエターノ・ヴェローゾを紹介され親しい友人になり、初期に彼の書いた曲を録音した。)
- Gilberto Gil → Os Mutantes:出典(ジルベルト・ジルが彼らをトロピカリア運動の輪に引き入れた。)
- The Beatles → Os Mutantes:出典(彼らはビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンといった英語圏のロックの影響を、ボサノヴァやトロピカリア、サンバと組み合わせた。)
- The Beatles → Gilberto Gil:出典(ジルが絶えず聴いたビートルズの『サージェント・ペパーズ』は、トロピカリア運動のスタイルに影響を与えた。)
- Luiz Gonzaga → Gilberto Gil:出典(ジルは歌手でアコーディオン奏者のルイス・ゴンザーガにとりわけ影響を受けた。)
- Luiz Gonzaga → Tom Ze:出典(幼少期のトム・ゼは、ルイス・ゴンザーガやジャクソン・ド・パンデイロといったブラジルの音楽家に影響を受けた。)
- Antonio Carlos Jobim → Elis Regina:出典(1970年代に彼女はアントニオ・カルロス・ジョビンとロサンゼルスでアルバム『Elis and Tom』を録音した。)
- Joao Gilberto → Stan Getz:出典(ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンに影響を受けたゲッツは、アメリカでボサノヴァの普及に貢献した。)
- Antonio Carlos Jobim → Stan Getz:出典(ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンに影響を受けたゲッツは、1964年のヒット曲「イパネマの娘」でボサノヴァを広めた。)
- Milton Nascimento → Wayne Shorter:出典(ナシメントの国際的ブレイクは、ジャズ・サックス奏者ウェイン・ショーターの1974年のアルバム『Native Dancer』への参加で訪れた。)
- Tom Ze → David Byrne:出典(デヴィッド・バーンは1976年のアルバム『Estudando o Samba』を発見し、ゼを自身のレーベルの最初のアーティストにした。)
- Os Mutantes → Kurt Cobain:出典(カート・コバーンは1993年にアルナルド・バプティスタへ手紙を書き、トリオに再結成ツアーを公に求めた。)
- Os Mutantes → Beck:出典(ベックはアルバム『Mutations』のシングル「Tropicália」でこのグループに敬意を表した。)