系譜ワールド(ラテン/ブラジル/アフロ)

ラテン音楽の影響系譜

系譜
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ラテン音楽をどこまで遡っても、行き着くのは1930年代ハバナのダンスホールだ。 アルセニオ・ロドリゲスのグアヘオ、カチャオが兄と練り上げたマンボのリズム。この構造がニューヨークに渡り、ティト・プエンテとセリア・クルスの手を経て、1970年代にFaniaが「サルサ」という一つの旗の下へまとめ上げる。 その同じ幹から、90年代のプエルトリコでVico CとEl Generalがもう一本の枝を伸ばした。 Daddy Yankeeが世界へ押し出し、Bad BunnyやJ Balvinが頂点に立つレゲトン/ラテントラップの枝だ。 年表ビューに切り替えれば、ハバナから今のグローバルチャートまで、この時間の流れが縦に伸びて見える。

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ハバナの弦から生まれたリズム

すべての起点はアルセニオ・ロドリゲスだ。カチャオ(イスラエル・ロペス)は、ロドリゲスの重層的なグアヘオの使い方から着想を得て、その概念をチャランガの弦楽器セクションに持ち込んだと伝えられる。 カチャオは兄オレステスと共にダンソンから新しいリズムを編み出し、マンボの共同創始者と見なされる。そのマンボをビッグバンド形式で世界に広めたのがペレス・プラードだった。 プラードは1949年、まだ無名だったベニー・モレのキャリア立ち上げを手助けし、共にグアラチャ・マンボを録音している。 後年にニューヨークでマンボを主流の聴衆へ運ぶティト・プエンテの土台も、この流れにある。プエンテの代表曲「オエ・コモ・バ」は、カチャオが1957年に録音した「チャンチューヨ」を基礎にしていた。

サルサという合流点 - Fania

キューバ系のリズムがニューヨークで一つの旗の下へ集まる。その結び目がFania All-Starsだった。 セリア・クルス、ジョニー・パチェーコ、エクトル・ラボー、ウィリー・コロンがここに名を連ね、サルサを国際的なジャンルへ押し上げる。クルス自身、キャリアに影響を与えた音楽家の一人としてアルセニオ・ロドリゲスの名を挙げている。 1967年に組んだウィリー・コロンとエクトル・ラボーは14枚のアルバムを共に作り、コロンはのちにルベン・ブラデスと組んで史上最も売れたサルサ盤「シエンブラ」を生んだ。 この巨匠たちを子供の頃に聴いて育ったと公言するのがマーク・アンソニーだ。ラボー、コロン、ブラデス、プエンテ。彼のスペイン語デビューは、この系譜への返信でもあった。

Siembra — Rubén Blades
SiembraRubén Blades1978
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もう一本の枝 - レゲトンとBad Bunny

90年代のプエルトリコで、幹はもう一本の太い枝を伸ばす。 ダディー・ヤンキーはキャリア初期にビコCのラップスタイルを真似ようとしたと語り、エル・ヘネラルの初期作品は「アンダーグラウンド」を経て現在のレゲトンを生む土台になったとされる。 そのヤンキーを、J・バルヴィンは「ダディー・ヤンキーがいなければレゲトンは今の姿になっておらず、ヤンキーなしにバルヴィンも存在しない」と言い切る。オスナも、ヤンキーやドン・オマー、ウィシン・イ・ジャンデルを「本物のレゲトン」と呼んで聴いて育った。 そして現在の頂点バッド・バニーは、影響源として実に多くの名を挙げる。5歳で最初に受け取ったレコードがビコCだったこと、サルサのエクトル・ラボーとルベン・ブラデス、バチャータのフアン・ルイス・ゲラとロメオ・サントス、レゲトンのダディー・ヤンキー、ドン・オマー、テゴ・カルデロン。 バッド・バニーはこの記事に出てきた枝のほぼすべてを一身に集める、巨大な合流点だ。各ノードをクリックすれば、その矢印がどこから来たのか、枝の先まで辿れる。

Barrio Fino — Daddy Yankee
Barrio FinoDaddy Yankee2004
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Un Verano Sin Ti — Bad Bunny
Un Verano Sin TiBad Bunny2022
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出典(本人公言・評論の一部)