アフロビートの影響系譜
アフロビートは、一人の男が四つの音を一点に束ねたところから始まる。ガーナのハイライフ、ジェームス・ブラウンのファンク、ロンドンで浴びたジャズ、そしてヨルバの伝統。 その結び目に立つのがフェラ・クティで、矢印の出入りが最も多いノードもここだ。 フェラは相棒のドラマー、トニー・アレンについて「トニー・アレンがいなければアフロビートは存在しなかった」と語っている。 1970年代のこの音は、やがて大西洋を渡ってTalking HeadsやBrian Enoを動かし、いまはBurna BoyやWizkidの世代へ流れ込む。 綴りの似た「Afrobeat」と「Afrobeats」は別物だが、下のグラフはその一本の系譜を出典付きの矢印で辿る。
源流の合流 - フェラ・クティという結び目
フェラ・クティに向かう矢印は四本ある。E.T.メンサーが切り開いたハイライフがアフロビートの土台のひとつになり、ロンドンで傾倒したジャズがその核となった。 そこにジェームス・ブラウンのファンクのグルーヴが決定的な刺激を与え、ヨルバの声楽伝統とリズムが土台に据えられる。 だが結び目はフェラ一人ではない。トニー・アレンは1968年からフェラのアフリカ70でドラマー兼音楽監督を務め、アフロビートを共に築いた。 矢印はフェラからアレンへ、アレンからフェラへ、両方向に伸びる。「トニー・アレンがいなければアフロビートは存在しなかった」というフェラ自身の言葉が、その双方向の関係を裏書きしている。


並走した二本の系譜 - ハイライフとジュジュ
フェラは単独で立っていたわけではない。ガーナのエボ・テイラーはハイライフとジャズを独自に統合し、その音は「アフロビートの父」フェラに影響を与えたと語られる。 関係は一方通行ではなく、フェラはテイラーらに「ジャズをやめてアフリカ独自の音楽を作れ」と促したとされ、矢印はここでも往復する。 もう一本の系譜がキング・サニー・アデのジュジュで、ヨルバの伝統をハイライフの甘さと結び、精神的に深めた様式と評される。 カメルーンではマヌ・ディバンゴが、アメリカのファンクとソウルを西アフリカのダンス音楽に「振りかけて」"Soul Makossa"を作った。西アフリカ各地で、外来のファンクとジャズが土着のリズムに接ぎ木されていた。
大西洋を渡った音 - 西洋への波及
フェラの音は西洋のミュージシャンを動かした。ブライアン・イーノはフェラの『アフロディジアック』を未来の音楽のようだと評し、人生を変えたと語っている。 イーノとデヴィッド・バーンはフェラを不可欠な影響源として、1980年のTalking Heads『リメイン・イン・ライト』にポリリズム的なアフロビートを持ち込んだ。 デイモン・アルバーンはトニー・アレンを「最高の音楽の師」と呼び、The Good, the Bad & the Queenで共演している。 ヴァンパイア・ウィークエンドやポール・サイモンの音にもアフロビートは聴き取れ、サイモンは若い彼らに「君たちは私が辿ったのと同じ源泉に向かっている」と告げたという。

血縁と現代Afrobeats - 源流は今も生きている
系譜は文字どおりの血縁でも続く。フェミ・クティは父フェラのバンド、エジプト80で音楽を始め、セウン・クティは九歳で同じバンドに加わり、父の死後その指揮を引き継いだ。 そして現代のAfrobeats(綴りの末尾にsが付く別ジャンル)は、この幹から伸びた最も太い枝だ。バーナ・ボーイは「フェラがいなければ自分はおそらく存在しなかった」と語り、その影響を認めている。 ウィズキッドは「いまのサニー・アデ」と評され、ヨルバ音楽の系譜が現代へ受け継がれていることを示す。ダヴィドらは、キング・サニー・アデやフェラの肩の上に立つことを認めている。 アフロビートの音そのものがアフロビーツの土台だと論じられており、フェラが敷いたリズムは今も鳴っている。各ノードをクリックすれば、その枝の先へ辿れる。
出典(本人公言・評論の一部)
- E.T. Mensah → Fela Kuti:出典(E.T.メンサーが切り開いたハイライフはアフロビートの土台のひとつとなり、フェラがその質感を自らの音楽に取り込んだ。)
- James Brown → Fela Kuti:出典(ジェームス・ブラウンのファンクのグルーヴはフェラのアフロビート確立に決定的な刺激を与えた。)
- Jazz → Fela Kuti:出典(フェラはロンドンでジャズに傾倒し、ジャズへの愛がアフロビートの核となった。)
- Yoruba music → Fela Kuti:出典(アフロビートはヨルバの声楽伝統やリズム、楽器を取り込んで形成された。)
- Jazz → Manu Dibango:出典(ディバンゴはジャズとファンク、伝統的なカメルーン音楽を融合させたアフロビートの革新者だった。)
- Ebo Taylor → Fela Kuti:出典(エボ・テイラーのガーナ産ハイライフはアフロビートの父フェラ・クティに影響を与えた。)
- Fela Kuti → Tony Allen:出典(トニー・アレンは1968年からフェラのアフリカ70でドラマー兼音楽監督を務め、アフロビートを共に築いた。)
- Tony Allen → Fela Kuti:出典(フェラは「トニー・アレンがいなければアフロビートは存在しなかった」と語った。)
- Jazz → Tony Allen:出典(アレンはアート・ブレイキーやマックス・ローチらアメリカのジャズドラマーの妙技をハイライフやジュジュと結びつけた。)
- Fela Kuti → Brian Eno:出典(イーノはフェラの「アフロディジアック」を未来の音楽のようだと評し、人生を変えたと語った。)
- Fela Kuti → Talking Heads:出典(イーノとバーンはフェラを不可欠な影響源とし、1980年の「リメイン・イン・ライト」にポリリズム的アフロビートを持ち込んだ。)
- Brian Eno → Talking Heads:出典(イーノとバーンは「リメイン・イン・ライト」を共に制作し、アフリカ音楽の手法を西洋音楽に持ち込んだ。)
- Fela Kuti → Roy Ayers:出典(ロイ・エアーズは1970年代にアフロビートに触発された音楽を録音し、70年代後半にフェラとナイジェリアを巡演した。)
- Fela Kuti → Antibalas:出典(1990年代末から2000年代初頭、アンティバラスらによってブルックリンにアフロビートのシーンが生まれた。)
- Tony Allen → Damon Albarn:出典(デイモン・アルバーンはトニー・アレンを「最高の音楽の師」と呼び、彼とザ・グッド・ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン等で共演した。)
- Fela Kuti → Femi Kuti:出典(フェミ・クティは父フェラのバンド、エジプト80で音楽キャリアを始め、アフロビートを次世代へ運んだ。)
- Fela Kuti → Seun Kuti:出典(セウン・クティは九歳で父のバンド、エジプト80に加わり、フェラの死後その指揮を引き継いだ。)
- Fela Kuti → Burna Boy:出典(バーナ・ボーイは「フェラがいなければ自分はおそらく存在しなかった」と語り、その影響を認めている。)